本編
男は生まれてからすぐに全てを失った。
両親は事故で他界し、親戚もいない。
両親が残していたお金も、養育施設の人間に盗られてしまう。
施設の中でも虐められ、何も与えられなかった。
それどころか、ボランティアや寄付で貰ったものも取られてしまう始末だ。
いつしか男にとって、何も待っていないことや自分の物が無くなることは当たり前のことだと思うようになった。
そんなとき、男はマジシャンと出会う。
そして、男は消失マジックの虜になった。
取られるのではなく、自分で消す。
消してしまえば取られることもない。
その考えが男を消失マジックに熱中させた。
天性の才能と類稀なる努力量によって、男はたちまちトップマジシャンへとのし上がった。
男は世界中の観客を魅了した。
多大な富も手に入れ、男の名を知らぬ者は世界にいないと言われるほどの名声も手に入れる。
だが、男は決して満足しなかった。
次々に誰も思いつかないような消失マジックを披露しては観客を魅了していく。
そんな中、男は完璧を求めて、決して努力を怠ることはなかった。
しかし、そんな男にも老いが迫る。
体の衰えを感じ始めた男はすぐに引退を決意した。
人々に惜しまれながらも引退のマジックショーを開催する。
手足を縛り、目隠しをして全身をすっぽりと透明のシートでくるむ。
そして、考えられる限りの脱出を阻止する仕掛けをしていく。
最後にその状態で、溶解炉に放り込む。
一瞬にして男は蒸発して消える。
観客たちは悲鳴を上げた。
会場は騒然となる。
だが、そのとき、男が壇上に現れて、観客に礼をした。
盛大な拍手が巻き起こる。
まさしく、男にふさわしい素晴らしい消失マジックだった。
そして、この消失マジックは伝説となった。
男が亡くなってから数百年が経っても、このネタを解き明かした者はいないのだという。
終わり。
■解説
男は消失マジックに並々ならぬ情熱を持っていた。
完璧を目指した最後の消失マジック。
それは自分自身を『消失』させるものだった。
つまり、男は脱出などしていない。
マジックの途中で自らを焼失させた。
壇上に現れた方が偽物だった。
そのため、男の消失マジックのタネは誰にも解き明かせないのである。