本編
私が住んでいたところはかなり田舎だった。
高校のときは電車通学で、当時からも電車の利用客は少なかった。
駅で降りるときも、学生しか降りてなくて、学生が下りたら電車にはほとんど乗客は残ってなかった。
その当時は電車なんてそんなものだと思っていたから、東京に来た時に地下鉄を見た時はかなり驚いた。
そして、乗る人が少ないせいで電車の本数は極端に少なかった。
朝の登校時は10分おきに来たけど、下校時は1時間おきなんていうのはザラだった。
でも、私はそんな電車が好きだった。
いや、電車というより駅が好きだったんだと思う。
小さい駅で本当に改札しかないような駅。
お店が入っているわけでも、自販機が置いてあるでもない、本当に簡易的な駅だ。
なにより私が好きだったのは駅員さんだ。
その駅員さんはいつも明るく挨拶してくれる。
そして、驚くことに学生の名前も覚えていたりする。
おそらく、定期券を見て覚えたんだろう。
下手な学校の先生よりも生徒の顔と名前を憶えていたと思う。
中にはそれが怖いという友達もいたけど、私はなんとなく嬉しかった。
学校でも先生にあまり名前を呼ばれることもなかったし、クラスでも地味で存在感がなかった。
だから、駅員さんに名前を憶えてもらったことは、本当にうれしかった記憶がある。
あの当時で駅員さんはまだ20代だったと思う。
……今だと30代くらいかな。
都会の大学に行くことになったから、最後に駅を使ったのは高校の卒業式のときだ。
最後に、その駅員さんに「卒業おめでとう」と言われたことは、下手をすると高校で一番の思い出かもしれない。
大学を卒業し、就職をして毎日を忙しく過ごす中、ある一つの連絡がきた。
それは通っていた高校が閉校になるというものだった。
確かに、私が通っていた時からクラスは2クラスだったから、少子化の今ならもうほとんど学生がいなくなっていてもしょうがないだろう。
それよりもショックだったことは駅も閉鎖されることだった。
閉校された次の日に閉鎖されるのだという。
確かに学生しか使っていなかった駅だったから、高校が閉校になるなら仕方ないだろう。
でも、それでもショックだった。
そして、友達から高校が閉鎖される前に一度、集まらないかという提案があった。
私は行くと即答した。
正直、高校よりも駅が閉鎖される前に一度行っておきたいと思っていた。
なにもない平凡な高校生活で、少しだけ私に思い出をくれた駅。
私は最後に駅員さんに「お疲れさまでした」と言おうと決めていた。
そして、駅が閉鎖される当日。
珍しく高校の前の駅で人身事故があったようで、3時間ほど待たされてしまった。
最後だというのに、なんとも締まらない。
まあ、私らしいといえば私らしいけど。
長く待たされたのち、私は10年以上ぶりに駅に降り立った。
ホント、なにも変わっていなかった。
一気に当時の記憶が思い出される。
もう少し感傷に浸りたかったが、辺りも暗くなり始めている。
私は用意した小さな花束を持って改札へと向かった。
「長年、お疲れさまでした」
それを言うためだ。
だが、駅には乗客はおろか、あの駅員もいない。
私は大きくため息をついた。
そっか。
あまり使われていない駅だったから無人駅になってしまったのかもしれない。
それに、あの駅員が10年以上もこの駅にいるとも限らなかったということにも気づいた。
私は虚無感に包まれながら、帰りの電車が来るまでの1時間を駅のベンチに座って過ごした。
終わり。
■解説
語り部の思い出の駅は「学生以外」は人が降りない。
そして、閉鎖の日はすでに高校は閉校しているので、乗客は誰もいないはずである。
では、この駅で起きた「人身事故」は誰によるものだったのだろうか。
それは「駅員」だった可能性が高い。