本編
俺は登山家である。
とはいっても、界隈では少し有名なくらいで一般の人で俺の名前を知ってるなんて人はほぼいないだろう。
エベレストみたいな超有名な高い山に登るというわけじゃなく、どちらかというと多くの山を登るタイプの登山家だ。
俺が好むのはあまり人が登らないようなマイナーな山。
そんな山あったの? なんて言われるような山に登るのが好きなのだ。
これまで登った山の数は、1000は下らないだろう。
とにかくたくさん山を登っている。
今、俺が注目しているのが、とある部族が管理しているという山だ。
その部族は山岳信仰をしていて、管理する山には絶対に人を登らせない。
山を神聖化し、崇めているのだ。
だけど、俺からしたらそんなのはナンセンスだ。
山は人が登るからこそ、価値が出る。
俺はそう思っている。
でも、逆に言うとその山はほとんど人が踏み入れていないということだ。
こんな山こそ、ぜひ、登ってみたい。
俺は何度もその部族とコンタクトを取り、登山の許可を取ろうとしたが、すべて却下されている。
普通なら、そこで諦めるものだろう。
だけど、人間というものはダメだと言われればよけいに気になってしまう生き物だ。
登ってはダメと言われれば、尚更、登りたくなる。
そこで俺は部族から許可が下りないのであれば、部族にバレないように登ればいいと考えた。
山は広大だ。
山に入るルートなんてそれこそ無限にある。
そのすべてに人を配置して監視することなんてできない。
だから、俺は部族に見つからないようにあえて険しいルートを選び、その山に入った。
人が通っていないということは道がないということ。
それはかなり険しい道のりだった。
だけど、そんなことは俺にとっては寧ろやる気が出てくる。
人が登っていない山を登っている。
そう考えるだけでゾクゾクしてきた。
そんな興奮を抑えながら頂上へ向かって歩を進める。
そして、頂上に差し掛かろうとしたときだった。
なんと人と出会ったのである。
ヤバいと思って逃げようと思ったが、出会った人間が若い女性ということもあり、好奇心が勝ってしまった。
俺はその女性に話しかけてみる。
するとその女性は部族の人らしく、なんとその人は部族の中で唯一、山を登ることを許可された人なのだと言う。
俺はその話を聞いて、大人げなくズルいと思ってしまった。
部族の人間が登れるなら、どうして俺が登るのを許可してくれないのか。
思わず、愚痴のようなことを女性に言ってしまった。
すると女性は笑って「この山に登りたいなんて言う人はあなたくらいだ」と言った。
どういうことかと尋ねてみると、この山は最近、やけに土砂崩れが起こったり、クマなどの獣害によって多くの村人が亡くなったのだという。
確かに危険な山だということはわかる。
でも、こちらの言い分を何も聞かずに登るのを却下するのは違うと思う。
大体、山で何かあったとしても部族に対して文句を言うつもりもないし、仮に死ぬようなことがあっても、自分の自己責任だと考えているからだ。
それを女性に話すと、女性は笑みを浮かべて「それならとっておきの場所に案内してあげます」と言ってくれた。
女性について行くと、そこは大きな滝つぼだった。
女性の話ではこの滝に山の神が宿っていて、この場所は選ばれた人間しかこられない特別な場所なのだという。
確かに神秘的でやけに不気味な雰囲気を持った場所だった。
さらに女性のいうことには、この場所で多くの人が死んだということらしい。
素晴らしい景色ではあるが、やはりどこか不気味な感じがする。
俺は女性に「ありがとう。十分、景色は堪能したよ。そろそろ行こう」と言った。
だが、女性は真顔になって首を横に振ったのだった。
終わり。
■解説
部族の人間たちは山岳信仰をしている。
そして、この山には神が宿っていると信じている。
そんな山では最近、山崩れや獣害が起こっていると女性は言っている。
ではなぜ、その山に女性は入ることを許されたのか。
それはこの女性が人身御供として送り込まれたと考えられる。
山の神様が宿る滝に飛び込むことで、山の神の怒りを鎮めようと考えている可能性が高い。
現に女性はその滝で多くの人が死んでいると言っている。
これはおそらく多くの人が人身御供として飛び込んでいることを示唆している。
語り部が帰ろうと言って、女性が首を横に振ったということは、この後、語り部は女性によって滝に突き落とされたのかもしれない。
山で起きたことは自己責任だと言った語り部としては、本望なのだろうか。