これは3年前に、実家に帰省したときの話。
俺の実家は少し田舎なので、帰るとなると車かバスになる。
そのとき、車で帰るかバスにするかを迷ったが、運転するのが面倒ということでバスで帰ることにした。
片道5時間かかるので、帰るだけで疲れてしまうからだ。
あとは、久々にバスに乗るというのも、なんだか懐かしくてテンションが上がったというのもある。
ということで、俺は早朝からの便に乗ることにする。
着く頃にはちょうど昼時なので、地元の行きつけだった店に行こうと決めていた。
バスに乗って1時間くらいは懐かしさで心地よい気分だったが、次第に飽き始める。
普通、こういうときは本やらゲームやらで時間を潰すものだろうが、俺は車に酔いやすいから車の中で本を読んだり、ゲームはできない。
こんなことになるなら、車で行けばよかったと思っていた時だった。
ピンポーン!
いきなり車内にそんな音が響いた。
音がした方向を見ると、5歳くらいの子供が、しきりに降車ボタンを押している。
最近はバスにほとんど乗る機会がなかったが、今の子供でもああいうボタンを押してみたくなるらしい。
確かに俺が子供の頃、妙にボタンを押したいと思うときがあった。
今からすると、なんであんなボタンなんかを押したくなったのか理解できない。
ボタンを押したら音が鳴るなんて、その辺のおもちゃにだってついてるような機能だ。
それなのに、その子供は何度も何度も降車ボタンを押す。
そして、運転手は、押されたたびにバス停に止まる。
だが、それは子供の悪戯なので、誰も降りず、数十秒くらいするとまた出発するという繰り返しだった。
1回くらいなら、まだ子供の悪戯だと笑っていられたが、何度もやられるとさすがにイラついてくる。
車内は俺を含めて6人くらい乗っていたが、誰も何も言わない。
隣にいる母親らしき人さえも、何も言わず、黙って座っていた。
ピンポーン!
またボタンが押されて、バスが停留所で停まる。
ドアが開き、数十秒ほど待ち、再び出発する。
その状態に、さすがに俺はイラついた。
明らかに子供の悪戯だとわかっているはずなのに、律儀にバスを停めるのも意味がわからなかった。
無視すればいいのに、と心の中で何度も思った。
車内にいる客も、誰も何も言わない。
子供の方さえ見ない。
みんながみんな、無視を決め込んでいる。
8人もいるのに、誰も何も言わないなんて珍しいと思っていた。
まあ、俺もその中の一人だったわけだけど。
というか、さっきは確か6人だったはずなのに、いつの間にか8人になっている。
停車したときに乗り込んできたんだろうか?
でも、誰かが乗ってきた記憶はない。
ただそんなことよりも、10回目の降車ボタンで、俺の中の限界がきた。
子供の方が座っている前の席に座って振り返る。
そして「ボタンを押すの、やめてくれないかな?」と言った。
そんなときでも、隣に座っている母親らしき人間は、こちらさえ見ない。
子供に注意できないなんて、最低の親だな、なんて思っていると――。
「なんで?」
そう子供に返答されてしまった。
「このボタンは、降りたいって人が押すためのボタンなんだ」
俺がそう言うと、その子供は首を捻って「じゃあ、降りたい人がいたら、押していいの?」と言ってきた。
本当は降りる本人が押すボタンなのだが、説明するのが面倒くさかったので「ああ。それなら押していいよ」と返す。
それからは子供は、ボタンを押すのをピタリとやめた。
つまらなさそうに足をブラブラとさせて、前を向いている。
ボタンが押されないので、バスは止まることなく、順調に進んでいく。
そして、ホッとすると、なんだか眠くなってきた。
時間を見ると、まだ2時間しか経っていない。
着くまでにあと3時間もあるので、寝ることにした。
どれくらい眠っていたのかわからない。
長く眠った気もするし、ほんの少し目を閉じていただけのようにも思えた。
あとどのくらいで着くだろうと外を見たときだ。
一瞬、何が起きたか理解できなくて、頭が真っ白になってしまった。
なぜなら、外が真っ暗だったからだ。
おかしい。
俺は朝の7時にバスに乗っている。
実家までは5時間だから、昼には到着するはずだ。
それなのに、外が暗くなってるなんてありえない。
そして、実家の町の停留所が最終地点なので、乗り過ごすということもないはずだ。
外の景色を見ようと思っても、真っ暗でよく見えない。
とりあえず、俺は運転席へ行って、運転手に「すみません。寝過ごしてしまったみたいなので、次の停留所で降ろしてくれませんか?」と伝える。
だが、運転手は返事どころか、こちらを見もしない。
どうなってるんだよ?
そう思って、振り返ると、さっきの衝撃が可愛いと思えるほどの光景が目に飛び込んできた。
座席に座っているのは、半透明の人たちだった。
明らかに普通の人間じゃない。
顔まで透けていて、若いのか年配か、男か女かさえもわからない状態だ。
このバスは、この世のものじゃないと思い、とにかく降りようと考えた。
運転手に何度も降りたいと言うが、無視をされる。
それでも、何度も何度も、降りたいと言うが、まったく聞き入れてもらえない。
そうしているうちに、いつの間にか車内の幽霊っぽい半透明の人間が増えていることに気付く。
バスが停車していないのにだ。
俺は運転手につかみかかるが、触れなかった。
というのも、運転手さえも、半透明になっていた。
さっきまでは普通の人間に見えていたのに。
何度叫んでも何も変わらない。
不思議と恐怖より諦めの方が勝っていく。
俺は諦めて、自分が座っていた席へと戻る。
そんなときだった。
ピンポーン!
車内に降車ボタンの音が響いた。
音がした方向を見ると、そこにはあの子供がいた。
すぐにバスは停車して、ドアが開く。
「降りたい人がいたら押していいんだよね?」
子供が笑いながらそう言った。
俺はドアが開いた隙に、すぐにバスを降りる。
そして見上げると、窓の向こうで子供が手を振っていた。
俺は手を振り返す。
降りた場所からはタクシーをつかまえて、実家へと帰った。
「随分遅い時間のバスにしたのね」
母親にそう言われた。
家に着いたのは22時くらいだったからそう言われるのもわかる。
バスから降りた時点で21時は過ぎていた。
俺はいったい、何のバスに乗っていたんだろうか。
気になるが、今となっては調べる術もない。
そして、後日談というか、バスのことを調べるうちに、ある記事を見つけた。
それは10年以上前に、バスが事故を起こして、乗ってた乗客全員が亡くなっていた。
その犠牲者の中に、あの、降車ボタンを押した子供の写真が載っていた。
あの子供がいなければ、きっと俺はあのバスからは降りれなかった。
そう考えると、あの子供には感謝しかない。
そして、あの子供は、今もあのバスの中で、降車ボタンを押しているのだろうか?

