本編
今日は残業で遅くなってしまった。
しかも、会社を出ると雨が降り出してしまい、たまたま傘を忘れてしまっていた。
途中のコンビニで傘を買おうと思ったが、最終のバスの時間にギリギリだったため、諦めた。
ずぶ濡れになりながら走ったが、無情にも目の前でバスが出発してしまう。
お昼は見栄を張って部下に奢ってやったため、家までのタクシー代さえもない。
お金をおろそうにも給料日は明日で、そもそも残額がほとんどないのだ。
今日の残業だって、先方のミスなのに俺のせいにされてしまい、その対応に追われていたからだ。
そして、お昼を奢ったのに部下は定時でさっさと帰ってしまった。
別に手伝ってほしいわけじゃなかったけど、「何か手伝いましょうか?」の一言くらいは欲しかった。
しかも、声をかけてくれなかったのは部下だけじゃない。
同僚だって先輩だって上司だって、誰一人、俺に何も言わずに帰っていった。
別に虐められているわけではない。
いつもそんな感じなんだから。
そういう俺だって、今まで残業している人を見つけても手伝おうか、なんて言ったためしはない。
まあ、これも自業自得か。
なんてことを待合室の椅子に座りながら、うだうだ考えていてもどうにもならない。
帰るならさっさと帰らないと。
だけど、待合室の窓から見える外は大雨だ。
一向に病む気配はない。
また濡れるのかと思うと、重い腰も上がらなかった。
いっそ、ここで一晩明かしてやろうかなんて自虐的なことも考えてしまう。
そうしていると、待合室のドアが開いた。
顔を上げて見てみると、入って来たのは若い女性だった。
黒色の長い髪で、とても美人な人だ。
その女性は俺と目が合うと、会釈をしてくれたので、俺も思わず頭を下げる。
すると女性は俺の近くに座った。
「急に雨なんてビックリだよね」
女性が朗らかに笑いかけてくる。
思わず、ドキッとしてしまう。
「そうですね。しかも、ちょうど傘を忘れてしまって」
明らかに女性の方が年下なのに、俺の方が敬語を使ってしまった。
「家は遠いの?」
「バスで20分くらいですかね」
「あらー、そりゃ遠いね」
明るくてとても話しやすい女性だった。
俺はあまりおしゃべりが得意じゃない、というより口下手なのに、気が付くと15分も他愛のない話をしていた。
人と話していて、こんなに楽しいなんて久しぶりだ。
女性はいつもこの時間のバスに乗るだと言っていた。
それを聞いて、俺もこの時間のバスにすればまた会えるんじゃないかと考えていると、待合室の前にバスが留まる。
「あ、バス来たよ。乗ろ」
「そうですね」
女性が立ち上がったので、俺も一緒に立ち上がる。
そして、女性と話ながらバスに乗り込んだ。
今日はついていない日だと思っていたが、最後の最後で最高についていたようだ。
と思って時計を見たら、もう12時を過ぎていた。
なるほど。
どうやら、今日はついている日のようだ。
終わり。
■解説
語り部は最終のバスを乗り過ごしている。
それなのに、待合室にバスがやってきている。
もしかすると、そのバスは普通のバスではないのかもしれない。
そんなバスに乗り込んでしまった語り部と女性はどうなってしまうのだろうか。
また、女性は「いつもこの時間のバス」に乗ると言っている。
女性自身もこの世の者ではなく、幽霊なのかもしれない。