本編
月曜から今週いっぱい、会社の出張でホテル暮らしをしている。
もちろん、会社からは宿泊代が出る。
うちの会社は実際の費用を清算するんじゃなくて、1日1万円が支給される制度だ。
だから高いホテルなんかに泊まって、1万以上かかった場合は自腹になる。
逆に安いホテルにすれば、差額分は懐に入れられるというわけだ。
正直、ホテルなんかは単に寝るだけなので、本当に安いところでいい。
宿代を安くあげた分、美味しいものを食べたいタイプだ。
なんなら漫画喫茶でも構わないくらい。
さすがに連日、漫画喫茶だと体が痛くなるからやらないが。
とにかく、今回もできるだけ安いホテルを探した。
で、なんと1泊2000円という破格の場所を見つけた。
これで1日8000円も浮くことになる。
これで美味しいものが食べられると、俺はかなりテンションが上がった。
でもそれはたった1日で後悔に変わる。
安いのには安い理由があったのだ。
当たり前だけど。
部屋自体は立派とまでは言わないけど、古くて汚いというわけではない。
普通の部屋だ。
ベッドや布団だって悪くない。
じゃあ、なんでそんなに安いのか。
そう。
『出る』からだ。
仕事が終わって、遅くまで居酒屋でしこたま飲んで宿へと戻り、布団へと潜る。
そして寝ていたら、コンコンとドアがノックされた。
その音は妙に大きくて、すぐに目が覚める。
最初は店員が来たのかと思ったが、時間は深夜2時。
どう考えてもこんな時間に店員が来るとは思えない。
それでも万が一ということもあり、ドアの前まで行って「なんですか?」とドア越しに声をかける。
だけど、全く返事はなく、ノックが続く。
だから俺は「やめてください。なんですか?」と再度声をかけた。
するとノックが止み、今度はカリカリとドアを引っ掻く音に変わる。
そして、さらにドアの向こうから女の声で小さく「あ……い……あつ……」とつぶやきが聞こえた。
俺は一気に血の気が引いた。
明らかにまともな人間じゃない。
というより、生きた人間じゃないことはハッキリとわかった。
俺はすぐに布団くるまり、震えながら一晩を過ごした。
翌日、それとなくホテルのことをリサーチした。
そしたらこのホテル、3年前に火事になり、何人かが犠牲になったらしい。
もちろんリホームはしているみたいだが、幽霊が憑りついてしまったようだ。
この辺りでは『出る』と有名なホテルなのだという。
さすがに宿を変えた方がいいか。
そう思ったが、2000円という破格の値段は捨てがたい。
現に、昨日は居酒屋で豪遊できた。
それに例え幽霊が出るとしても、無視すればいい。
昨日だって布団の中にいれば、何も起きなかった。
だから、俺はたとえ幽霊が出ても無視するということに決め、そのままホテルを使い続けた。
その日も、深夜2時にドアがノックされる。
さすがに怖かったが、なんとか布団にくるまってやり過ごす。
ただ、それも3日目には慣れてしまった。
ノックされても、はいはい、としか思わなくなる。
4日目にはノックの音で少し起きるが、すぐに寝られるほどだ。
俺は幽霊のことよりも、次の日に何を食べるかの方が重要になっていた。
頭の中で、良さそうなお店をピックアップしながら寝るのが日課になった。
その日は、大量のおつまみを用意して、部屋で晩酌していた。
ちょっと飲みすぎかなと思いつつも、そのまま横になる。
そして、深夜2時。
ドアがノックされる。
怖くはないが、目が覚めるのが面倒だ。
まったく。
明日から会社なんだから勘弁してくれよ。
そう思いながら、俺は再び眠りについた。
終わり。
■解説
語り部は出張が『今週』と言っている。
ということは1週間出張している。
そして、最後、語り部は『明日から仕事』と言っている。
ということは、その日は『休み』ということである。
つまり、出張は『終わって』いて、語り部は家に戻っているはず。
それなのに、深夜2時にノックされている。
幽霊は語り部の家に憑いてきていることになる。

