本編
僕らは愛し合っていた。
彼女がいれば、僕は他になにもいらない。
それは結婚して10年経った今でも、子供が生まれてからも変わらなかった。
もちろん、子供は可愛い。
たが、子供か彼女かを選ぶことになれば、僕は迷わず彼女を選ぶだろう。
彼女を失うくらいなら、僕の命を投げ出したっていい。
きっとそれは永遠に変わらない。
そして、僕は毎年、結婚記念日には彼女が好きなワインを買って帰る。
それを結婚式の日に買った、僕のイニシャルと彼女のイニシャルが入った、おそろいのグラスで飲むことにしているのだ。
一年で一番幸せな時間。
来年も同じように過ごせることを願って、僕はワインを飲み干すのだ。
だけど、そんな幸せは、突然、消え去ろうとしていた。
彼女の事業が失敗し、多額の借金が出来てしまったのだ。
そのことで、彼女は僕に何度も何度も謝ってきた。
もう、どうしようもないほどの多額の借金。
すると、彼女が「一緒に死のう」と言った。
みじめな生活をするくらいなら、死んだほうがマシだと言う彼女に、僕は拒否することなく頷いた。
どうせ、彼女が死ぬのなら、僕は生きていけない。
僕たちは、せめて子供が困らないようにと、二人で生命保険をかけた。
これで借金を返せるように、と。
そして、僕らは服毒自殺を選ぶことにした。
毒が入ったカプセルを2つ用意する。
その毒を、結婚記念日にワインを飲むグラスで飲むことにした。
このグラスで飲む、最後はワインではなく、毒を飲むための水というのがなんとも皮肉なのだが。
僕と彼女が毒を手に取った時だった。
ちょうど、子供が学校から帰ってきた。
慌てて、彼女が玄関に向かう。
そして、おばあちゃんのところに行くように話すはずだ。
僕はもう一度、目の前のグラスを見る。
あ、僕と彼女のグラスが逆になっている。
僕の目の前に置いてあるグラスには、彼女のイニシャルがついている。
危ない危ない。
最後なのだから、ちゃんとしないと。
僕は、彼女のグラスと交換した。
すると、彼女が戻ってきた。
今度こそ、お互いがカプセルを口に含み、一気に水で飲み干す。
胃の中が熱く、痛みが走る。
同時に、僕の意識は遠のいていく。
彼女も苦しそうにもがいている。
すぐに、あっちで会おう。
そう考えていると目の前が真っ暗になった。
気が付くと、僕は病院のベッドの上にいた。
僕は死ななかった。
なんでも、僕が飲んだ水のおかげだったらしい。
どういうことかと考えていると、警察がやってくる。
どうやら、僕には彼女を殺した疑いがかかっているらしい。
冗談じゃない。
僕が彼女を殺すわけなんてない。
僕は必死に心中だと話すが、警察は信じてくれなかった。
ああ。もういい。
疲れた。
どうせ、彼女がいない今、僕が生きている意味なんてなにもない。
だから、僕は真夜中の病室を抜け出し、屋上から飛び降りる。
ごめんね。
少し遅くなったけど、すぐ行くから。
終わり。
■解説
なぜ、語り部は毒で死ななかったのか。
そして、なぜ、警察に殺人だと疑われたのか。
それは、語り部が飲んだ水に、解毒剤が入っていたからである。
さらに、語り部は毒を飲む前に、彼女のグラスと入れ替えていた。
ということは、本来、解毒剤が入った水は彼女が飲むはずだったのである。
心中と見せかけて、彼女は語り部を殺そうとしていた。
つまり、語り部は彼女を愛していたが、彼女は語り部を借金のために殺すくらいにしか愛していなかったと言える。
動画
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