本編
江戸時代中期。
現代では知られていないが、江戸にその名を知らぬ者はいないと言われるほど、高名な画家がいた。
もちろん、その名前は将軍家にも届いており、画家の元へ屏風の絵を描いてほしいと依頼がきた。
だが、その画家はこだわりが強く、特に色に関しては妥協できず、納得ができない場合は9割完成している状態でも、破り捨ててしまうほどだった。
なので、画家が完成させた絵は極端に少なく、下手をすると10年間、まったく絵が完成しなかった時期もあった。
当然、将軍家はそんなに長い期間を待ってはくれなかった。
画家はせめてと言って、1年間の創作期間を貰う。
すぐに5人の弟子と共に山奥にこもり、絵を描き始めた。
最初は順調に創作が進んでいた。
しかし、残り3ヶ月となったときに、画家の手が止まってしまう。
描いているうちに、背景の色を黄色から茶色にしたくなったのだ。
それは少し濁った独特の色味が必要で、持ってきていた染料ではどうしても作り出せない。
今の段階で、納得できる色は黄色しかない。
時間がない。
たとえ、このまま黄色で塗ったとしても、おそらくは将軍家も気にしないだろう。
だが、画家のプライドがどうしても許せなかった。
そこからは壮絶な試行錯誤が繰り返される。
青の染料を片っ端から取り寄せたり、花などの植物をすり潰してみる。
だが、納得できる青色が出ない。
もうダメだ、終わりだと絶望の淵に立たされていたとき、画家はあるものを発見する。
それは蝶が潰れたものだった。
羽の色には青色は全く入っていないのに、飛び出た体液は青色を放っていた。
まさに理想の青色だった。
画家はすぐに弟子たちにその蝶を大量に採ってくるように命じた。
集められた大量の蝶。
その蝶をすり潰して青色を作っていく。
そこからの画家の手は早かった。
間に合わないのではないかと心配したのが嘘のように、絵は期限の1ヶ月前に完成した。
その出来栄えは素晴らしく、将軍家もたいそう喜び、画家に対して多額の褒美を与えた。
ホッと安堵した画家は、その日に弟子たちを集めて宴をした。
この日だけは師弟関係もなく、5人全員は朝まで眠ることなく、喜びを語り合ったのだった。
終わり。
■解説
画家が最終的に必要だった色は『茶色』である。
最初、画家が納得できる色は『黄色』だけだと言っている。
その後、蝶を潰して『青色』を手に入れたが、これだけでは『茶色』は作れない。
まだ『赤色』が足りていない状態である。
また、山にこもる際に『5人』の弟子を連れている。
しかし、将軍家に絵を渡した後では『画家を含めて5人』で宴を行っている。
つまり、『1人』足りないことになる。
この画家は、弟子の『血』を使って『赤色』を入手したのかもしれない。
さらにここまで有名な画家が現代で伝わっていないのは、絵を作る際に『人間』を使ったことがバレて、歴史から抹殺されたからかもしれない。